おはなさんのモヤモヤ

ニュース、テレビ・ラジオ番組、日々の出来事…などなど、様々な刺激を受けて生じたモヤモヤや葛藤を書きます。

コロナ禍の報道に関するモヤモヤ

おはこんばんにちは。

おはなさんです。

 

桜がきれいに咲いています。

家から駅へ向かう途中で桜並木を通るのですが、

見る度に1年間また頑張ろうという気持ちになります。

同時に、「1年が早いなぁ」と昨年も心の中でつぶやいたセリフを呟いています。

来年もきっと呟くことでしょう。

 

 

 

 

 

さて今日は、コロナ禍の報道に関するモヤモヤについてお話したいと思います。

お断りしますが、特定のメディア・番組が、というわけではありません。

どのメディア・番組でも、コロナ禍なのにこの行動はどうなのかという報道を

ちらほら見かけます。

 

一番印象に残っているのは、数か月前に見た報道です。

歩いている時にマスクから鼻を出すのはどうなんだという報道がありました。

個人的には、歩いているときはしゃべっているわけではないので

そこまで目くじら立てんでもと思いました。

 

一方で、それをとりあげるニュース番組に出ている出演者はマスクをしていません。

自分たちはOK?距離をとっているからOK?アクリル板あるからOK?

 

そして、緊急事態宣言中はリモートで出演していたコメンテーターが、

解除されたとたんにスタジオ出演に戻っているケースが多いです。

そのくせ、解除後に外出する人が多い、気が緩んでいると報じたり。

 

もっと言えば、緊急事態宣言が解除されても外出は控えましょう、

学生には歓送迎会や卒業旅行は控えましょうという割には、

聖火リレーに関してはポジティブな側面ばかり報道したり。

 

 

 

 

 

なんだか矛盾だらけでモヤモヤします。

「わーオリンピックだ!」「聖火だ!」ってはしゃぎながら、

他者には外出は控えましょうって、よく恥ずかしくもなく言えるよな...。

 

 

2021年3月27日   おはなさん

 

 

とあるネット記事を読んでのモヤモヤ

おはこんばんにちは。

おはなさんです。

 

このブログは3月20日22時ごろに書いているのですが、

先ほどの地震宮城県の方は大丈夫でしょうか。

最近は地震が多いですね。関東も揺れることが多く心配です。

 

 

 

 

 

さて、数日前、通勤中にネット上の記事を漁っている時、

この記事を見つけました。

震災10年 放送されぬ「遺体」 | "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス] (japan-indepth.jp)

(このブログを読む前に記事を読むことを勧めます。)

 

私はジャーナリズムやメディア論などを勉強したことはありません。

なので、その界隈での「ルール」や「あたりまえ」みたいなことは

私にはわかりません。

ただ、この記事を読んでモヤモヤしました。

そのモヤモヤを書いていこうと思います。

 

 

 

ざっくりとこの記事で書かれていたことを稚拙ながらまとめると、

海外メディアでは震災での遺体や流される人の様子を報道されたが

日本メディアでは報道されていないことについて、

過度な自粛ではないのか、ジャーナリズムに則って熟考した上での対応なのか、

と一辺倒に報道しないことに対して批判的な論調で記述されています。

(大事なことなのでもう一度お伝えしますが、元の記事を読むことをお勧めします)

 

確かに、事件・事故・災害を風化させないために報道することは大事だと思います。

そして、問題意識もなく自粛するのもどうなのかと言う点には私も賛同します。

 

一方で、必ずしもそのような悲惨な様子を報道することについては反対です。

 

海外と違うのは、日本は直接被害を受けた国であるということです。

そして、多数の方がお亡くなりになっています。

もし報道された場合、亡くなられた方の関係者が見る可能性は、

他の国と比べて高いと思います。

 

また、幸いに命が助かった人の中には、

悲惨な光景を目の当たりにした方が多くいらっしゃいます。

今は思い出したくもない方もいると思います。

その方々には「記憶に触れない」権利があります。

 

風化させないという名目で誰もが見れるテレビで報道してしまう、

被害にあわれた方の心情を無視して報道してしまうと、

その方々が見て、さらに傷ついてしまう可能性が高くなると考えます。

 

また、被害にあっていない人にも「情報に触れない」権利があります。

自分が直接被害にあっていなくても、間接的に体験することでも

PTSDになってしまうこともあります。

 

新聞や雑誌などの紙媒体、資料館や写真展、展示会などと比べて

テレビはアクセスしやすく、電源をつけてしまえば意図しなくても触れてしまう

可能性があります。

そのため、触れないという選択が比較的難しいテレビで報道することに反対です。

 

 

 

 

 

記事の筆者はジャーナリズム・メディア論の視点から書かれています。

そのためなのか、被害にあわれた方々を尊重する点があまり書かれていません。

悲惨な様子をテレビで伝えることが風化を防ぐ手段であるというように

語られているところに私はモヤモヤを感じています。

 

果たしてその手段は、風化を防ぐ強力な手段なのでしょうか。

 

2021年3月20日   おはなさん

 

2011年3月11日、あの日のモヤモヤ

おはこんばんにちは。

おはなさんです。

 

東日本大震災から10年が経ちました。

メディアでは、「節目の10年」と言うキャスターがいれば、

「節目とか区切りとか無い。10年経っただけ」と言う人がいる。

私は「節目の10年」と言うコメントには一瞬モヤモヤしましたが、

あの日の経験は人それぞれだから、認識が違っても無理はないかな、と。

 

 

 

 

 

当時、私は沖縄に住む高校3年生の受験生でした。

都内の国公立大学の進学を目指していました。

2月の前期試験に落ちたため、3月の後期試験に挑むことになりました。

 

 

試験日は3月12日でした。

 

(以下、一部あいまいな記憶が含まれています。)

12時半ごろに那覇空港を出発しました。

羽田空港への到着は15時予定。

14時46分、その時は上空にいました。

着陸時刻まで数分に迫る中、機内アナウンスが流れました。

地震が発生し滑走路が安全確認を行うため、着陸できません。

そのためしばらく旋回します」と。

 

10~20分くらいは旋回していました。

その後羽田空港に着陸するも、滑走路に停まったまま駐機場に行かず、

しばらく待機していました。

 

するとアナウンスが流れました。

地震の影響で安全確認を行っているため滑走路が封鎖されています。

そのため、駐機場に向かえません。しばらくお待ちください」と。

 

しびれを切らした周りの乗客が携帯電話の電源を入れ始めました。

コソコソした声で情報が伝わってきました。

「東北で震度6だって」

津波警報が出てる」

 

なぜ、東北の地震で羽田に影響してるんだ?

関東もまぁまぁ揺れたんだろう。それにしても遅いな。

くらいにしか思っていませんでした。

 

16時半ごろにようやく飛行機から降りることができ、

空港に迎えに来てくれているおばさんに電話しました。

しかし繋がらない。

荷物を取って、到着口で再度おばさんに電話をかけるも繋がらない。

「あれ?電源切ってるのかな?」と思うだけで、

通信ができない状況になっていることにも気づきませんでした。

 

到着口付近を探し回っていると、おばさんに会うことができました。

おばさんからの話で規模の大きい地震だったこと、事の重大さを知りました。

同時におばさんから、

「今日は電車が動かないだろうから帰れないかもしれない」

「ここで泊まる用意をしよう」

「帰りの飛行機も変更した方がいいかもしれない」

と通告をされました。

 

急いで空港内のコンビニで弁当を確保し、

寝床のための段ボールも同時に確保しました。

 

そして、沖縄にいる母から電話がかかってきました。

この時、こちらから電話を発信することができないが、

なぜか沖縄からの電話は受信できるということに気づきました。

 

母との相談で12日に帰る予定を13日に延ばすことにしました。

その手続きをするためカウンターに向かっている時、

空港内のテレビで東北の状況を目の当たりにしました。

 

ショックでした。愕然としました。信じられませんでした。

 

この日の感情はぐちゃぐちゃでした。

 

試験が実施されるのかという心配、

緊急地震速報が空港内に流れた時の恐怖、

速報が流れた後に揺れなくてホッとした感じ、

速報無くふいに大きく揺れた時の驚き、

 

なにより一番印象に残っているのは無力感でした。

 

夜の9時か10時頃、空港内で非常食や毛布などのセットが配られていました。

この時、そのセットを配ることを手伝いたいという思いが浮かびました。

今振り返ると、何か役に立ちたい、そういう思いから来たものだと思います。

しかし、それを申し出る勇気が出ない。

申し出たって断られるのではないか。

いや待て、明日試験だし、備えて眠らなきゃいけない。

いつまでやればいいかわからんし。

 

結局、様々な言い訳を並べ、行動に移ることはありませんでした。

 

13日に沖縄に帰りました。

被災地から距離が離れたことでホッとした半面、

あの時の無力感が残っていました。

そして、その無力感だけがずっと残り続けています。

 

 

 

 

 

この10年、私は被災地に何もできませんでした。

あの後に3浪を経て大学進学し、沖縄を離れ関東に来ました。

沖縄より被災地に近いところで生活することになりました。

でも被災地に行くことはありませんでした。

大学で被災地でのボランティア活動を募っていました。

しかし、応募することはありませんでした。

 

何かしたい

 

そう思うだけでした。

手続きの複雑さとか金銭とか移動とか事情を考えて、

自分に都合の良い解釈をして行動を起こすことをためらいました。

そして10年を迎えました。

 

 

 

 

今日、改めてあの時の無力感に向き合いました。

次の10年を迎える時はこのような思いをしたくないです。

 

社会人になって給料ももらってお金があるから寄付ができる、

沖縄と比べてアクセスもしやすいから被災地に行ける、

公認心理師の資格(現在申請中だが)も活かせるかもしれない、

 

考えるだけでなく行動に移そうと思います。

 

読んで頂きありがとうございました。

 

2021年3月11日    おはなさん

 

「男・女」という概念を教えるモヤモヤ

おはこんばんにちは。

おはなさんです。

 

前回更新から時間が開きました。

その間、モヤモヤがなかったというわけではありません。

単純仕事の疲れでパソコン開くのが億劫になってしまいまして…

毎日ブログ更新している人ってすごいですね。

 

さて、今日は「男・女」という概念を教えるモヤモヤについてお話します。

 

 

 

 

 

プロフィールにもサラッと書いていますが、私は療育の現場で働いています。

主に未就学児を対象に様々なプログラムを行っています。

 

私が働いている療育では「男女の概念」というプログラムがあります。

そのプログラムでは、男の子と女の子のそれぞれが描かれたカードを用います。

(カードに描かれてれているのはイラストで、実物写真ではありません。)

プログラムの進め方はお子様の現時点でのスキルや担当スタッフなどによって

違いがあるのですが一例を説明すると…

 

初めに、男の子の描かれたカードと、女の子の描かれたカードをお子様に提示します。

私が「男の子取って」と言ったら、お子様には男の子のイラストが描かれたカードを、

「女の子取って」と言ったら女の子のイラストのカードを取ってもらいます。

取ってもらった後にお子様に「○○は男の子?女の子?」と尋ねるのです。

 

 

 

 

このプログラム、正直言って私はお子様に行うことに抵抗があります。

すごくモヤモヤする点が2点あるのです。

 

①使われているイラストのモヤモヤ

男の子の着ている洋服が青色系統、女の子の着ている洋服が赤色系統なのです。

青は男の色、ピンクは女の色、みたいな一昔前の考えが残っている気がしてならない。

それだけではありません。

女の子の服装がもれなくスカートなのです。女の子は全員スカート履くんか?

昔のジェンダー観丸出しなところがすごくモヤモヤします。

 

②性別を尋ねるモヤモヤ

「○○は男の子?女の子?」とお子様本人に聞くのですが、

親御様から伝えられている性別と違う回答をすると

「違うよ、○○は男の子(女の子)だよ」とお子様にフィードバックします。

いや、見た目や親御様からのプロフィールの情報だけで、

あなたの性別はこれだ!って押し付けていいんか?

本人が性を自覚しているのかしていないのかわからない状況にも関わらず

そのような決めつけたフィードバックをするところがすごくモヤモヤします。

 

 

 

このモヤモヤを同期のスタッフにボソッと一度だけ話したことがあります。

このスタッフはこのプログラムにどちらかと言えば肯定的で、

教えないことによるデメリットとして

「概念として教えるのは大事なのでは」

「小学校進学後、入るべきトイレに困ってしまう」

「着替えする時の更衣室とかもそう」

と話してくれました。

 

まぁ確かに、わからんでもない。とその時は思いました。

また、終業間際だったこともあって面倒くさくなり(自分から振ったくせに...)、

「うーん難しい...」と返して、議論を広げず終わりました。

 

しかし、帰宅後落ちついてから考えました。

性自認と見た目が一致しているならその理由は有効かもしれない。

一方、本人の性自認を無視して、あなたは見た目上はこの性別だからと、

その姿勢で進めるのはどうかと思いました。

 

 

 

 

 

このモヤモヤは晴れず、今日もお子様に行われました。

自分が担当しているお子様には行っていないのが幸い...。

 

 

2021年3月10日

おはなさん

 

2021年2月16日『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聞いてのモヤモヤ

おはこんばんにちは。

おはなさんです。

 

今回は、このブログを開設するきっかけになったモヤモヤについて書きます。

 

 

 

きっかけは、標記のラジオ番組を聞いた時でした。

 

元々ラジオ好きで、特にTBSラジオを好んで聞いています。

そして深夜1時から放送されているJUNKは大学浪人時代の時から本格的に聞き始め、

かれこれ10年くらい聞いています。

最近はradikoでタイムフリー機能を活用して、通勤のお供として聞くことが多いです。

 

私のラジオ好き事情はここまでにして話を戻します。

標記の回のカーボーイでは、爆笑問題の太田さん、

そして療養中の田中さんのピンチヒッターとしておぎやはぎのお二人と、

南海キャンディーズの山ちゃんが出演していました。

 

山ちゃんは水曜JUNK、おぎやはぎは木曜JUNKのパーソナリティーであり、

なかなか一度に揃うことのないJUNKパーソナリティーが揃うということで

特別感がありすごく楽しみにしながら聞き進めていました。

 

確かに楽しかったです。特に山ちゃんの某芸人さんに対する話とか

太田さんがいたからこそ聞けた話であり、またそれに乗っかって話した

山ちゃんもかっこいいなと思いました。

 

楽しく聞き進めていた中、ある点に引っ掛かりました。

それをきっかけにモヤモヤが生じ、モヤモヤを抱えながら聞くことになりました。

 

ある点…

それは太田さんとおぎやはぎの、山ちゃんへの接し方でした。

山ちゃんのCM明けの最初のコメントのタイミングについて、

太田さんがけちょんけちょんに言うのです。

 

それは毎度のCM明けのたびに行われました。

というか、番組の終始でそのような接し方でした。

そしてその時のおぎやはぎはというと、太田さんの側について

煽るような発言をしていました。

 

その様子を聞いていると、あるイメージが浮かびました。

中1をいじめる中3と、それを傍観したり煽ったりする中2。

このイメージが浮かんでからは引いてしまいました。

 

ただし、考慮すべき点も忘れてはいけません。

出演者同士の関係の歴史、演出、などです。

そして放送されている場面はその一面でしかないことも確かです。

現に、山ちゃんは翌日のラジオで、楽しかったと感想を述べています。

 

浮かぶイメージと考慮すべき点…。

この二つが頭の中で戦った結果、モヤモヤが生まれました。

このやりとりを面白いなと聞いている自分と、

一昔前の胸糞悪い上下関係のような構図を許せない自分。

この両方の自分が戦っていました。

 

 

 

あーでもない、こーでもないと考えながら聞いていると、番組が終わりました。

結局このモヤモヤは解消されることはありませんでした。

そして、今もこのモヤモヤは残っています。

 

 

 

ただ、一つわかったことがありました。

 

今までなら許されていた、いや、見逃されてきた考えや価値観、事物が、

現在でははっきり不適切であると認められない、ということが様々ある。

それに私たちは合わせたり調節したりして適応していくことが必要かもしれない。

今の時代の考え方や価値観に適応しようとする自分と、

一昔前の考え方や価値観が残っている自分。

この両方の自分がいる。

それがゆえに生まれたモヤモヤなのだろう。

そして、今後もこのようなモヤモヤに遭遇するだろう、と。

 

 

 

そして、このモヤモヤを頭の中に一人で抱えるのは少々重いなと思いました。

また、共感してくれる人が一人くらいはいるのではないかとも思いました。

その解決の手段として、ブログを開設して書き残すことにしました。

 

まぁ、自己満足なブログですが、今後もこのような感じでモヤモヤを書いていきます。

今後ともよろしくお願い致します。

 

読んで頂きありがとうございました。

 

2021年2月20日  おはなさん

2021年2月18日、開設

おはこんばんにちは。

そして、私のことを知らない方、初めまして。

おはなさん、と申します。

 

初めてのブログ投稿なので、まずは私の身分を軽く明かそうと思います。

私は沖縄県の名護市という街で生まれ育ち、大学入学を機に離れました。

大学→大学院を経て2021年2月18日現在、療育の現場で児童指導員として

働いています。

 

資格については、現時点では無資格です(運転免許くらい)。

昨年12月に行われた第3回公認心理師試験に合格し、現在登録申請中です。

今年10月の臨床心理士試験の再受験に向けて勉強中です。

 

趣味などその他のことは、追々明かしていこうかなと思います。

 

 

 

さて、このブログでは、

現代の価値観や考え方に適応しようとする反面、

今では受け入れ難い昔の古い価値観・考え方が残っている私が、

ニュース、テレビ・ラジオ番組、SNS、現実での出来事…などなど、

様々な刺激を受けて考えて生じたモヤモヤや葛藤を拙い文章で書いていきます。

 

モヤモヤや葛藤をブログに書いて公開する目的は、

モヤモヤや葛藤を解消する/してもらうため、ではありません。

心に抱えられなくなったから目に見える形で外に出したい、

という目的です。

 

私はインフルエンサーでもなければ、説教する人でもありません。

誰かを論破するつもりもありません。

そしてこのブログを読んだところで、

何かを解決する手立てにもきっかけにもならないと思います。

ですので皆様には

「へぇ~」

「あっそ」

「ふーん」

「それで?」

くらいで読んで頂ければ幸いです。

ただ、あわよくば共感してくれる人がいてくれればなぁと思っています。

 

 

 

ざっと書いたつもりでしたが長くなりました。

さっそく拙い文章ですみません。

 

このブログを開設しようと思ったきっかけとなったモヤモヤについては

次回書こうと思います。

 

 

 

読んで頂きありがとうございました。

2021年2月18日  おはなさん